08 2 / 2012

"この手の文章はまったく理解できない。これ何語?"

http://bgnori.tumblr.com/post/17199536228

日本語ですよ!

でも、ボードリヤールの記号論など前提知識が必要なので、少し説明を試みてみましょう。

仮に、服を一着しか持っていない人たちが豊かになったら、どうなるか。2着目を買えば洗い替えになり、もう少し買えば夏用や冬用など季節にあったものを持てるようになります。では、それ以降は?彼らは満足するでしょうか。おそらく、とっかえひっかえ服を買う人も出てくるでしょう(女性が多いかもしれませんね)。

ここで合理的な思考をもつ人は不思議に思うかもしれません。「なんで、そんなに無駄な物を買うんだ!?」(どこかで聞いたことのある嘆きです。)

この不合理にみえる欲望や選択を説明しようとしたのがボードリヤールです。彼は「記号」という発想をもって、消費行動を解き明かしました。それは要するに、服そのものではなく、「イメージ」を身にまとっているのだ、というものです。

このボードリヤールの説明は、「ブランドモノをありがたがる奴は馬鹿。品質や機能には関係なく、マークさえついてりゃ、自慢できて満足なんだろ?」という(これもまたどこかで聞いたことのある)議論とは少し異なっています。

ボードリヤールの説明だと「プラダをもった私」だけでなく「しまむらを着る僕」も説明できるのです。しまむらは、ご承知のとおり、郊外型の衣料品店です。プラダとは違って「権威付け」に用いられることは、あまり考えられないでしょう。しかし、しまむらを着ていると、郊外に住んでいて、週末には両親が自動車に乗って国道沿いのショッピングモールに出かける、など特定のイメージが想起されます。あるいは、服にはあまり興味がなくて母親任せにしている、というような印象を持たれるかもしれません。

ほかにも「プリウスに乗る私」「iPad2を操る俺」「一眼レフで写真を撮るわたし」「ロードバイクに乗る僕」などなど色々なイメージのバージョンがありえます。

つまり、商品は雄弁なイメージをともない、消費はコミュニケーションとして機能しうるのです。

ただ、そのイメージは、特定の文脈に依存しています。たとえば、ナデシコのルリが好きでエヴァのレイは好きじゃないといっても「一般人」はよく理解できないでしょうし、LISPを褒めちぎってJAVAを貶しても門外漢には何のことやらわからないでしょう(bgnoriさんが、記号論を「何語?」と感じたように。)。

これが、「ある商品がもつ記号が理解されるのは、その記号が含まれる記号体系が社会のメンバーによって共有されているからである」という意味です。ルリとレイの違いを理解するには、アニメの体系を共有していなければならず、LISP信者の話を理解するにはプログラミングについての知識が必要です。

そうすると、個人の消費行動は、こうした体系に従うしかないのではないかという疑義が生じてくるでしょう。ボードリヤールは、消費者が主体性を失っているのではないかとやや悲観的な想定をしているのです。

以上、「消費社会の神話と構造」の話を、かなり丸めて説明しました(誤りがあれば、どなたかコメントしてください。)。

ボードリヤールをより深く理解したいなら、その前提となるソシュールの言語論や、日本での受容形態のひとつとしての大塚英志「物語消費論」などをおさえるとよいと思います。

(via inf)

(deli-hell-meから)

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